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2004/03/07(日)
「お箸置を置くというゆとり」


どんなに忙しくても、時間がなくても、お金がなくても、、、
最近、我が家ではそんな会話を良くする様になった。

「どんなに○○でも」…

ついつい忙しい事を理由に、
何でも片付けてしまいがちなのが人間である。

しかし、忙しい時こそ、時間がない時こそ、
気持ちの『ゆとり』は持ってなきゃ、と言う事を私は母の姿を見て教わってる。

母も何かの受け売りだと言っていたが、
ある人が
「私なんか、忙しくてお箸置を置くくらいの余裕もない」
と言ったのを、
そ〜んな、悲しい事があっていいのか、て思ったと言う話。

お箸置を置くと言う行為がそんなに特別な事なのか、
どうしてそれくらいの事をあきらめてしまえるのか、、
あまりにも寂しすぎる。。

私も確かにそう思った。

家族揃って囲む食卓での会話、
母の手作りのご飯を美味しいね〜と食べる事。
家族皆でお酒を飲むこと。
TVドラマを一緒に見ること。

それは家族じゃなくても、恋人であったとしても友人であったとしても、
至福の時だと私は思う。

そしてそれは何も特別な事ではないし、
誰でも出来る事。

我が家では必ず各自ランチョンマットを敷く。
もちろんお箸置も。
それは昔からだし、極当たり前な事だと私はずっと思っていた。

いつか、我が家に泊まりに来た友人はそれを見て、
カルチャーショックを覚えたが如く
「まきちゃんちはお洒落だからな〜。いいな〜。うちのお母さんなんてね。。」
と言った事があった。

彼女のお母さんはとりわけお料理が嫌いで、
彼女と初めて会った頃は、あまりにもの好き嫌いの多さに私自身驚いたものだ。

美味しいと思った事がない、味覚がない、なんて言っていたっけ。

母の責任とはかなり重大なんだと、若い私は逆にショックを受けたものだ。

「はははっ普通の事だよ〜!○○ちゃんもおうちでやったらいいやん!」

と私は大笑いをした記憶がある。

ちょっと幼かったなと今思ったら反省だけど。

それからしばらくして彼女は結婚をした。

初めて彼女の新婚家庭にお呼ばれした時、
彼女はちゃ〜んとランチョンマットとお箸置を可愛く揃えていた。

まきちゃんのお母さんが、憧れだったと言うけれど、
その時の彼女は、独身時代より気のせいか
少しおおらかな性格になっていたし、笑顔が増えていた。

もちろんランチョンマット効果かどうかわからないけれど。。

友人と遊ぶより、好きな人にお料理を作って食べてもらう!
と言う事に幸せを見つけたのか、
それ以降すっかり疎遠になってしまった。。

だけど、
生活のゆとりとは経済的な事はもちろんだけど、
少しだけ文化を取り入れてみる、
それだけで変わるんだな、
と彼女の可愛いエプロン姿と少し生焼けだったハンバーグを
「美味しい!美味しい!」と満面の笑顔でガッツク旦那さまを見て、
私は少し胸をなでおろした。。

今の生活にいっぱいいっぱいで、
映画を観るなんて、とか、
音楽を聞くなんて、とか、
本を読むなんて、とか。。

それはちょっと違うと思う。

時間は自分自身で作れるものなのだ。

なおさら好きな事を忙しいを理由で
あきらめるなんてもったいないんじゃないかって思う。

〜忙しいとは心を亡くすと書く〜

いつか入ったおうどん屋さんにそんな色紙が飾ってあって、
妙に納得した事がある。

心を亡くす。。
それはかなり恐ろしい事だ。。

心が貧しくなる事はあってはならないと私は思う。

今日は、晴れ渡った大好きな青空を
いつもより長い時間眺めてみようと思った。